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天長元年十一月空海上人が弟子と共に四国霊場の旅に出ている時、伊予の国重信川のほとりで一人の童子に出会われました。その童子が空海上人に霊場を開かれた事に付いての感謝とお願いをされました。「霊場を開いただけでは誰一人佛門に入れません。この土地には心悪き人物が居ります、その者を改心させ先達とされては。」そう言い残すと童子の姿は有りませんでした。その日の内に渡るはずの川が雨で増水し徳盛寺に宿をとり、本堂でお勤めをしていますと、ご本尊文殊菩薩様に先ほどの童子の面影を見られたそうです。 次の日空海上人は荏原の庄へ托鉢に参りました。この村の大庄屋、名を河野衛門三郎と言い村人から悪鬼長者と言われ、人につらく当たり困っている人を見てみぬふり、思いやりのかけらも無い人物です。そこへ空海上人が托鉢に参ると「こら乞食坊主!おまえにくれてやるものは無いぞ!」と追い返しました。空海上人は七日間通い続けました。そして八日目の事です。衛門三郎は「しつこい坊主め、これをくれてやる!」と言い竹箒で空海上人を打とうとしましたが、箒は鉄鉢に当たり八つに割れ、そのかけらは光を放ち空高く舞い上がり南の山に落ちました。この山は後に鉢降山(八窪)と呼ばれています。又破片の落ちた場所は窪みが出来、水が湧き出し「弘法大師加持水」と呼ばれています。