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死者は秦広王の法廷をすぎると、あの有名な三途の川にさしかかる。小さな川ではない。冥界をとうとうと横切って流れる大河である。そして、冥途の旅をする者は、誰でもこの三途の川≠渡らなければならないのだ。ちなみに三途の川≠ニいう地名の由来は、この川の向こう岸に渡るのに、三通りの途があった≠ニいうところから、来ている。
そして、「渡る所に三有り。一には山水瀬、二には江深淵、三には有橋渡あり」と、ある文献に記されているとおり、橋が架かっている。ただし、この橋を渡れるのは、善人だけ。それ以外の悪人たちは川のなかに入らなくてはならない。しかもその悪人には二段階があって、比較的罪の軽い人は浅瀬、重罪の人は濁流を渡らなくてはならないとされている。つまりはここにも、「因果応報」という仏教の基本原理が貫かれているわけだ。
さて、この三途の川≠フ渡し賃が、六文。死者を荼毘に付すときに、お棺の中に一文銭を六枚入れてやる風習が生まれたのはこのためである(今日では一文銭はないので、紙に印刷した六文銭が使われている)。「地獄の沙汰も金しだい」とは、おそらくこんなところから生まれたことわざであろう。