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ある日高僧がその手を見られこう申されました。「その手は時が来れば必ず開きます。」やがて若君三歳の春、花見の席で突然立たれ、南のほうを向きました(その方角は文殊院の方角)。
そして両手を合わせ「南無大師遍照金剛」と三度唱えられると、家臣一同見守る中、右手がぱっと開きました。その時小さな石が落ち、拾い上げてみると「衛門三郎再来」と書かれていました。それ以後、若君は国のため立派に尽くされ、安養寺を再建され持っていた石を納められました。無益な争いはせず、貧しい者困っている者を助け、常に公平に物事を判断され、結果伊予の国は益々栄える事と成りました。これも衛門三郎が改心し弘法大師の後を追い、四国巡礼をされた賜物でしょう。
その後千数百年経つ今、こうして我々も衛門三郎が辿った後を歩かせて頂いて居ります。聞く所によりますと、戦後のお遍路さんは皆懐に遺言状を持っていたそうで、その遺言状には「もしも私が道端で息絶えましたら、他の遍路の邪魔に成ります。お世話を掛けますが、私の遺体を道端に寄せて下さいませ。」と書かれていたそうです。全てを無くし小さな子の手を引き、お大師さまにすがろうと「南無大師遍照金剛」とお唱えされていたそうです。 |
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