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衛門三郎は先ず菩提寺の文殊院に立ち寄り、住職に「空海上人について何かご存じないでしょうか?」と聞きました。すると住職はこれまでの空海上人がお前の子供の為に、毎日読経し菩薩像を彫り、写経供養を施して居られた話を衛門三郎に語りました。衛門三郎はひざまずき泣きました、そして心から懺悔しました。この時生まれて始めて衛門三郎は手を合わせたそうです。衛門三郎は空海上人に会えなかった事を残念に思い、小さな紙に自分の名前と住所、年月日を書き「もしも空海上人がお立ち寄りに成ったら、私が参った事が分かって頂けるだろう。」そう思い本堂に張りました。これが現代の「納め札」です。
文殊院徳盛寺は遍路の開祖「遍路根本道場」と成りました。衛門三郎は四国八十八ケ所寺院を毎日毎日、雨の日も風の日も、高い山、険しい谷、深き森を一日も早く空海上人に再会したく、春夏秋冬心から祈りを捧げ、来る日も来る日も歩き続けました。やがて金品も使い果たし、夜は野宿、昼は托鉢に勤めていました。ある日大きな屋敷の前で大施しが行われていました。衛門三郎も有難い事と行列に並ぶと、丁度衛門三郎の前で「もう無くなりましたので、今日はこれで打ち切らせて頂きます」と施主から声が掛り、衛門三郎も「仕方あるまい」とその場を去ろうとした時「その顔は忘れんぞ!お前は荏原の衛門三郎だろ!」と数人の流浪者に囲まれて、ののしられ殴られました。